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裁量

投稿|2024年11月06日  更新|


2024年10月1日より,東京大学生産技術研究所 第5部本間健太郎研究室 / 価値創造デザイン推進基盤 助教に着任しました. 2年半の間,鹿島建設にお世話になって,建設業の実務に関することを大いに学びました. 特に,ひとつの建築,土木構造物が出来上がるにもいろいろな関係者が関わっていること, 関係者ごとに論理があることをリアルに感じられたことは,今後の研究生活において財産になると感じています. それらの論理はそれぞれに合理的で,ときに反発するゆえ,解くのが難しいものでした. そこを押さえておかなければ,工学の研究の意義が伝わらなかったり,誤って伝わったりします. このことは,研究のスコープ外の外(2022/01/27)があることに自覚的であることに通ずるものがあります. これから学術の世界で工学に貢献すべく,この経験を活かして研究に勤しんでいきたいと思います.

ところで,同じ研究者という立場ではありますが,企業と大学で裁量の意味が異なることを感じているこの頃です. 企業で勤めていた頃は,博士課程修了後短い期間ではありましたが,それなりの“裁量”を持って業務にあたっていたと思っていました. 研究テーマは自分で立案していましたし,立案者が進め方まで提案していましたから. 企業での裁量は,そこまでを意味するものでした.

しかしながら,大学で与えられる裁量は,それよりもはるかに広いもので,裁量についての認識を新たにしています.

まず,研究者としての使命が企業から大学に移って大きく変化しました. 企業にいるときは,「己が成果を創出すること」が当落線だったのが,大学ではそれに加えて「研究ができる人間を育てること」が本分になっています. 他者の成果に対して一定の責任を果たすためにどうすればいいかは,その人に向き合う中で自分で考える必要があります. 自分本位の成果創出のために必要なコミュニケーションよりもよっぽど難しいです. 研究の成果と並行してその人の研究能力を上げていくことを考えなければならず,一方的な指示だけでは不十分だと思うからです. しかも,期間が修士課程であれば2年(授業やバイト,課外活動,就職活動を除けばもっと短い)と時間が限られています. これまで,修士課程を見られてきた先生方はよくこなされていたなと感心します.

裁量のことから話が逸れました. 企業から大学に移るにあたって変化した使命の最たるものとして教育をあげましたが,他にも,研究室が抱える共同研究やアウトリーチ活動, もちろん自分の研究も含めて,やるべきことの種類は多岐にわたります. それらに対して自分がどのように関わるか,エフォートと時間を割くか,ものごとを実行するか, 自分で決めなければならない機会が圧倒的に増えました. 意思決定をだれかに委ねていると間に合わないことがわかっていると言いますか. 研究室運営に関わることは研究室のボスの意見が最も重要ではあります. ただし,今目の前でものごとが進んでいる状況では,自分の判断を拠り所にするしかないことがあります. 大きなことだけでなく小さなことも. 自分で決めるということは,大きさに関係なく存外に体力を使うものです.

企業にいた頃の裁量は,決められた方向性の中で自分の貢献の仕方を計画できることを意味していて, 最終決定は上の人がし,それがゆえに生じる問題は仕方のないこととして受け入れるものでした. それが今では,裁量はその場その場でものごとを決める責務を意味するものだと感じています. それは,学生や他の研究者など,指示系統にない他者が肩を並べて存在していて,かつ, わたしの行動に責任を持つ人間がわたし以外にいないためです. あたりまえのようなことではありますが,大学という中に身を置いてみてはじめて認識しています.

とはいえ,研究室の行く末に責任を持つ方たち,または,企業のなかで社業貢献に責任がある方たちには, もっと大きな裁量が“課されている”のでしょう. 助教は,そのためのステップアップだと思って,まずは自分にできるベストを尽くしていきたいと思います.

田端祥太
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